液体凍結機ができるまで

お客様と液体凍結についてお話をしていると、「最近、こんなのがあるんだ」と言ったお声を頂戴することもしばしば。

実は昔からある「液体凍結」

実は1980年代には既に「凍眠」はあったのです。テクニカンは1989年に山田義夫によって設立されましたが、さらにその数年前にリキッドフリーザーは存在していたのです。事業が軌道に乗り、その後、液体凍結に関する特許など知的財産権も取得し、現在に至ります。この記事では、凍眠ができたキッカケや創業黎明期の苦労について解説します。


液体凍結ができたキッカケ

山田はもともと機械屋ではありませんが「ある理由」でどうしても急速冷凍機を開発しなければなりませんでした。凍眠開発のキッカケは、食肉工場で商品開発をしていた1980年代まで時計の針を戻します。当時、外食産業が破竹の勢いで伸長し、それに付随して食肉需要も伸びていったんだそう。需要の拡大ペースに追いつくべく、山田は供給体制の見直しを図りました。冷凍して流通していたこともあり、「冷凍時間の短縮」による効率化を進めました。この時、山田が食肉工場でこの問題に直面していなければ、液体凍結機が世に出るのが遅れていた、あるいはまだ確立されていなかったかもしれません。


液体で冷凍することを考案

普通なら「今ある冷凍庫の温度を下げればいいじゃないか」と思う所ですが、趣味である「ダイビング」が液体で冷凍するヒントになりました。外気温20℃だと非常に快適ですが、海の中の20℃は冷たく感じますよね。「同じ温度なのになぜ海の方が冷たく感じるのか」「もしかしたら液体で冷凍すれば速く凍るのではないか」そう言った発想に至った山田は試作機の製作に乗り出します。当然、水は0℃で凍るし、塩水もさほど低温まで持ってこれない。そこで「アルコール」を使いました。アルコールは濃度50%あれば-30℃でも十分使える。加えて比重も軽いため食品が沈み、衛生的である。こうして液体凍結=アルコール凍結となったのです。

液体で凍らせて解凍したところ、品質が非常に良いという事が分かりました。今では品質を売りにしている凍眠ですが、急速冷凍の結果、品質が良かったと言った順序なのです。得てして技術というものは、偶発的に確立されたものも多くあると思いますが、「液体凍結の解凍結果が良い」と言うのも例に漏れずといったところでしょう。しかし、山田のバックグラウンドを鑑みると、液体凍結機を開発したことは必然だったのかもしれません。


黎明期の苦難~現在

「凍眠」によって、当時勤務していた食肉工場は大躍進を遂げました。数年後、山田は液体凍結機メーカーとして独立します。しかし、山田曰く、最初の10年間は液体凍結への理解が進まなかったとの事。当時の冷凍技術と比較し、解凍結果が良すぎたため、「何か裏があるのでは?」を懐疑的になるお客様が多かったのだとか。それでも認知してもらうために、トラックに機械を積んで、全国津々浦々、奔走する日々を過ごします。月日とともに機械への認知・理解も高まり、お客様からの問合せも増加。お陰様で現在は液体凍結のパイオニアとしてメディア出演なども相次いでいます。山田の半生は凍眠とともにあり、70歳を超えた現在も会社の指揮を執っています。「まだまだやりたいことがある」と語る山田。今後のビジョンについてはまた別の記事でご紹介します。


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